2011年12月2日金曜日

隼人を朝堂に饗す、其の儀常のごとし

乙巳饗大隅薩摩隼人等於朝堂其儀如常天皇御閤門而臨観詔進階賜物各有差


延暦二年(七八三)正月乙巳(廿八日)
饗大隅薩摩隼人等於朝堂。

其儀如常。
天皇御閤門而臨観。
詔進階賜物各有差。

乙巳(廿八日)
大隅・薩摩の隼人等を朝堂に於て饗す。
其儀は常の如し。
天皇、閤門に御して臨観す。
詔して階を進め物を賜うこと各々差有り。


七八三年一月廿八日
正月の行事の最後を飾る儀式として行われたのだろうか。
大隅、薩摩、両地域の隼人を参内させて饗したのである。

儀式に参加して呪声等の役目を果たす上番隼人ではなく
両地域の官位をもつ族長たちであろう。


この記事で気になるのは順序だ。
朝堂に饗したと記して其の儀は常のごとしと言う。
天皇閤門に御して臨観すというのがその後か?
進階賜物は何時なのか。


進階賜物のことは追記的に補足されるので問題ない。
進階賜物は饗に先後に行われるものだろう。
問題は
天皇閤門に御して臨観す が
何時なのか?


饗に先だっての儀式としておこなわれたものか。
そのとき天皇は閣門に出御してその儀式の様子を臨み観(み)たことになるのだが。
そしてそれを
其儀は常の如し と評価(報告)している。


隼人たちは閣門に御す天皇の前で何かの儀礼を行って
それを天皇が観ることに意義があったのだ。
臨観すという言葉にその有意義さが表明されている。


それはどのようなものだったか。
わからない。
隼人舞いのような芸能性を帯びたものか。
異人的武装と吠声のような呪性を帯びたものか。
あるいはまた別の種類のものか。


ただそれが特記に値しない通常のものと見なされたから
其の儀は常のごとしと記されたのだろう。


大伴旅人が征旅についた時代から時を経て隼人の社会も
律令制度の中に定着してきているということの
これは証ではあるだろうと思う。


宿題:
聖武天皇が恭仁京建設のさなか泉川(木津川)の南岸で校猟を観たという記事を思い出した。
天皇が観るという行為をしている場面とそれを観という字で表記することの意味はどのようなものか。
ここでも天皇は「閣門」という定められた(選定された?)場所へ御して観ている。


校猟を観るというのも定まった場所から観たのでなけらば見えないはずだ。
観ることに意義があるのなら見えない場所には御しはしない。


観という字(漢語)はどう使われているのか。
俯瞰的に観ることが含まれていないか。
そのことが気になっている。
国見という行事もまた俯瞰的だからだ。



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