2011年12月12日月曜日

光明皇太后の一周忌の記事

巻廿三 天平宝字五年六月庚申甲寅朔設皇太后周忌齋於阿弥陀淨土院其院者在法華寺内西南隅爲設忌齋所造也其天下諸國各於國分尼寺奉造阿弥陀丈六像一躯脇侍菩薩像二躯

巻廿三
天平宝字五年六月七日。
庚申。甲寅の朔。
皇太后の周忌齋を阿弥陀淨土院に設く
其の院は法華寺内の西南隅に在り
忌齋を設くるが爲に造れる也。
其れ天下諸國の各々の國分尼寺に於て、
阿弥陀の丈六像一躯、脇侍の菩薩像二躯を造り奉らしむ


天平宝字五年六月
辛酉於山階寺毎年皇太后忌日講梵網經捨京南田卌町以供其用又捨田十町於法華寺毎年始自忌日一七日間請僧十人礼拜阿弥陀佛 

天平宝字五年六月八日。

山階寺に於て毎年皇太后の忌日に梵網經を講ぜしむ。
京南の田町を喜捨し以って其用に供す
又、田十町を喜捨して法華寺に於て
毎年始、忌日より一七日間、
僧十人を請い阿弥陀佛を礼拜せしむ。 


六月七日が崩じた日である。忌日。
天平宝字四年六月乙丑己未朔(六月七日)天平應眞仁正皇太后崩。

周忌の齋会式を阿弥陀淨土院に設けたこと。

その院は
法華寺内の西南隅に在ったこと。

それは「
忌齋を設くるが爲に造れる」だということ。

普通に読めば、一周忌の斎会の機会に
阿弥陀淨土院を造営し斎会を整えた、と解される。
だが仮設の院ではないと思われるし、法華寺が光明子が不比等から受け継いだものであるとすれば光明子の生前からあった建物を阿弥陀浄土院として荘厳したと考えたらどうだろうか。
そのほうが故人との関係で自然な有り様と思うのだが。

諸国の国分尼寺に丈六の阿弥陀三尊(阿弥陀と脇侍の二菩薩)像を作らせることについては
各地で造佛できる条件があったか。できる土地柄の処もあったろうし、できない土地柄ならば制作は都で行って輸送したのだろう。後者が多かったのではないのだろうか?

山階寺は興福寺である。
「梵網經を講じる」「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」のことか。菩薩戒を説くので女人にも功徳ありとの意図か?
梵網經は二種類あって小乗仏教の梵網經は外道批判などが入っている。多分大乗仏典の方だろう。

喜捨というのはここでは何を指しているのだろう。

国家による施入か?

阿弥陀浄土院が皇太后の斎会の機関として整えられていくこと。
それは間違いない。


葬祭の面から見た皇后・皇太后の扱いは細かく観察し読み込むことも勉強になるかと思う。


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2011年12月2日金曜日

隼人を朝堂に饗す、其の儀常のごとし

乙巳饗大隅薩摩隼人等於朝堂其儀如常天皇御閤門而臨観詔進階賜物各有差


延暦二年(七八三)正月乙巳(廿八日)
饗大隅薩摩隼人等於朝堂。

其儀如常。
天皇御閤門而臨観。
詔進階賜物各有差。

乙巳(廿八日)
大隅・薩摩の隼人等を朝堂に於て饗す。
其儀は常の如し。
天皇、閤門に御して臨観す。
詔して階を進め物を賜うこと各々差有り。


七八三年一月廿八日
正月の行事の最後を飾る儀式として行われたのだろうか。
大隅、薩摩、両地域の隼人を参内させて饗したのである。

儀式に参加して呪声等の役目を果たす上番隼人ではなく
両地域の官位をもつ族長たちであろう。


この記事で気になるのは順序だ。
朝堂に饗したと記して其の儀は常のごとしと言う。
天皇閤門に御して臨観すというのがその後か?
進階賜物は何時なのか。


進階賜物のことは追記的に補足されるので問題ない。
進階賜物は饗に先後に行われるものだろう。
問題は
天皇閤門に御して臨観す が
何時なのか?


饗に先だっての儀式としておこなわれたものか。
そのとき天皇は閣門に出御してその儀式の様子を臨み観(み)たことになるのだが。
そしてそれを
其儀は常の如し と評価(報告)している。


隼人たちは閣門に御す天皇の前で何かの儀礼を行って
それを天皇が観ることに意義があったのだ。
臨観すという言葉にその有意義さが表明されている。


それはどのようなものだったか。
わからない。
隼人舞いのような芸能性を帯びたものか。
異人的武装と吠声のような呪性を帯びたものか。
あるいはまた別の種類のものか。


ただそれが特記に値しない通常のものと見なされたから
其の儀は常のごとしと記されたのだろう。


大伴旅人が征旅についた時代から時を経て隼人の社会も
律令制度の中に定着してきているということの
これは証ではあるだろうと思う。


宿題:
聖武天皇が恭仁京建設のさなか泉川(木津川)の南岸で校猟を観たという記事を思い出した。
天皇が観るという行為をしている場面とそれを観という字で表記することの意味はどのようなものか。
ここでも天皇は「閣門」という定められた(選定された?)場所へ御して観ている。


校猟を観るというのも定まった場所から観たのでなけらば見えないはずだ。
観ることに意義があるのなら見えない場所には御しはしない。


観という字(漢語)はどう使われているのか。
俯瞰的に観ることが含まれていないか。
そのことが気になっている。
国見という行事もまた俯瞰的だからだ。